シューゲイザーというジャンルを知らなくても、一度「きのこ帝国」の音を聴けば、その独特な浮遊感に引き込まれてしまう。轟音のギターと儚い歌声が同居する不思議なバランス。今日は、そんなきのこ帝国というバンドについて語ってみたい。
ノイズと透明感が同居するサウンド
きのこ帝国は、佐藤千亜妃(Vo/Gt)を中心に結成されたロックバンドだ。歪んだギターサウンドが分厚く重なるシューゲイザー的な音像を土台にしながら、そこに乗る佐藤の声は驚くほど透明感があり、儚さを帯びている。この「轟音」と「繊細さ」の同居こそが、きのこ帝国というバンドを唯一無二の存在にしていた最大の理由だと思う。
轟音の中に投げ込まれるような感覚と、そこから静かに浮かび上がってくる歌詞の情景。この振れ幅の大きさが、聴き手の感情を大きく揺さぶってくる。派手なロックバンドとも、静謐な弾き語りとも違う、独自のポジションを築いていたバンドだった。
「クロノスタシス」という代表曲
きのこ帝国を語る上で欠かせない楽曲が「クロノスタシス」だ。2014年10月にリリースされた2ndフルアルバム『フェイクワールドワンダーランド』に収録され、それまでのシューゲイザー色の強い作風から一歩踏み出し、レゲエやヒップホップの要素を取り入れた挑戦的な一曲として制作された。この曲を聴くと夜に散歩する時の感覚が変わると思う。
タイトルの「クロノスタシス」とは、視線を動かした直後に対象が一瞬静止して見えるという視覚現象を指す言葉だ。この曲では、その現象が「時間が止まって見えるような、二人だけの特別な瞬間」のメタファーとして使われている。夜のコンビニ、缶ビール、街灯の下を歩く二人——そんな何気ない日常の情景を通して、恋人と過ごす時間の尊さと、それがいつか終わってしまう儚さの両方が描かれている。
制作陣によれば、この曲は1サビのテンポを基準にしながらもブロックごとにBPMを変えるなど、テンポ感に相当なこだわりが込められているという。「気持ちよく、帰るのが惜しくなるような速さ」を追求した結果生まれたグルーヴが、あの独特の浮遊感を生み出しているのだろう。
この曲は後年、映画『花束みたいな恋をした』に使用されたことで、リリースから時間が経ってから改めて大きな注目を集めることになった。世代を超えて多くの人の心に届いた事実は、この曲が持つ普遍的な魅力を証明していると言えるだろう。
変化を続けたディスコグラフィー
きのこ帝国の作品を時系列で聴くと、その音楽性が少しずつ変化していく様がよくわかる。初期の作品は轟音ギターを前面に押し出したシューゲイザー色の濃いサウンドが中心だったが、次第にポップスやシティポップ的な要素を取り入れ、より聴きやすく開かれたサウンドへと進化していった。
「クロノスタシス」が収録された『フェイクワールドワンダーランド』はその過渡期を象徴する作品であり、実験性とポップさが絶妙に同居している。そして後期作『タイム・ラプス』では再び重厚なシューゲイザーサウンドへと回帰する場面も見られ、バンドとしての表現の振れ幅の広さを感じさせてくれる。
活動初期(2008年〜)
下北沢や渋谷を中心にライブハウスでの活動を本格化させました。ポストロック・シューゲイザーの影響を受けたサウンドで、都内のライブハウスシーンで着実にファンを増やしていった時期です。
活動初期から下北沢を拠点として活動していました。典型的な下北沢ギターロックのバンドです。
インディーズ期〜メジャー
2012年のミニアルバム『渦になる』でインディーズデビュー後、2014年には初の渋谷CLUB QUATTROでのワンマンライブを開催。2015年にはメジャーデビューを果たし、活動の規模も全国ツアーへと広がっていきました。
解散、そしてそれぞれの道へ
きのこ帝国は2019年に解散という道を選んだ。多くのファンにとって、それは突然の別れのように感じられただろう。しかし、解散という結末があったからこそ、彼らが遺した楽曲一つひとつの輝きが、より強く胸に刻まれているようにも思う。
解散後、佐藤千亜妃はソロアーティストとして新たな音楽活動を展開している。きのこ帝国というバンドで培われた表現力は、形を変えながらも今なお続いているのだ。
今、あらためて聴く意味
サブスクリプションサービスの普及もあり、きのこ帝国の楽曲は世代を問わず新しいリスナーに届き続けている。「クロノスタシス」がきっかけでバンドを知ったという人も少なくないはずだ。
共鳴の中にある繊細さ、儚さの中にある強さ。きのこ帝国というバンドが遺したその独特な感触は、時代が変わっても色褪せることなく、これからも多くの人の心を揺さぶり続けていくだろう。まだ聴いたことがない人は、ぜひ「クロノスタシス」から、その世界に足を踏み入れてみてほしい。